著者
重松 宗孝
2025.11.17
※文豪徳富蘇峰の書跡
白石市にある「孝子堂」を訪れました
父の仇討ちをした姉妹とその父の霊を祀ってます
※八枚田は現在も地元の人々によって手入れされてます
時は1636年(寛永13年)、百姓与太郎がここ「八枚田」で娘二人と草取りをしていたところ、
誤って通りかかった白石城下剣道指南志賀団七に泥がかかり、与太郎が切り捨てられました
娘二人は悲しみに暮れるが、仇討ちを誓い、江戸の由井正雪のもとで武道の修行を積んだそうです
4年の修行の後、普通では認められてない仇討ちが幕府より孝女と認められて、
1640年(寛永17年)2月、白石川六本松河原で見事に仇を討ちました
宮城県出身の詩人土井晩翠の歌碑がありました
郷の生める宮城野信夫
かんばしき孝女の誉
千代に朽ちさず
※二人の娘は由井正雪より、宮城野と信夫の名をいただきました
この人情物は、親孝行として浄瑠璃や歌舞伎になり、
そして今もなお白石市で朽ちることなく、語り継がれてます
素晴らしい!

