著者
重松 宗孝
2024.12.25
特攻隊ゆかりの地をめぐる慰霊の旅に同行して下さった
宮本雅史さんの「特攻」の聲を 読み終えました
特攻隊と聞くと、どうしても父務と重なるのです
※重松建設会社案内 創業者重松務インタビューより
大東亜戦争が激しくなり、岩城村に疎開した。
その頃、憲兵隊が来て「重松さん、航空隊に入らないか」
それで松山の見奈良の滑空訓練所へ行くことになった
※赤とんぼ 木枠に布を貼った練習機
そこでグライダー(赤トンボ)で飛ぶ訓練をした
その訓練が終わると、爆弾を抱えて空母に突っ込む特攻隊になる
半年航空隊にいたが、特攻に行くことなく、終戦となった
昭和6年生まれの父務は、14歳で少年航空隊に志願し、特攻隊員を志す
昭和20年2月に完成した見奈良滑空訓練所で特攻訓練を受ける
半年後、昭和20年8月終戦
何故、形勢が傾いた終戦の半年前に父務が特攻隊に志願したのか?
聞けないまま亡くなりました
ただ、最後まで日本のためにという気持ちがあったのは確かだと思います
戦後、命がけで仕事をしてた父を見て、そう思います
メリークリスマス